ナニャドヤラ

公開日 2015年07月03日

岩手、青森、秋田にまたがる旧南部領内に伝わる『ナニャドヤラ』についてご紹介します。

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ナニャドヤラの歴史

  「ナニャドヤラ」は旧南部領であった青森県八戸、野辺地、戸来、五戸、三戸、岩手県では二戸郡、九戸郡、岩手郡など、いわゆる県北の南部領一帯に伝わる盆踊りの唄となっている。この「ナニャドヤラ」ほど、その地方に徹底してゆきわたった唄はあまり類がないといわれている。

 祭典があれば祭りに、平時は野や山に畑に、或いは屋内の作業にも唄われてきた。日ごろ労働に追われ娯楽の少なかった昔、盆踊りはこの上ない楽しみであった。盆踊り唄にあるとおり、夜明けまで踊りあかすこともあり、翌晩は近隣の地まで出かけて踊ったそうである。

  昭和の中頃から懸賞方式がはじまり、神社に賞品を並べて踊りを競うようになると他地区からの参加も増えた。戦後に日本各地で盆踊りが奨励され、今日また復活している。

 

ナニャドヤラの起源・由来

 起源・由来の詳細はよく知られておらず、その歌詞の意味も長い間不明とされてきた。

 戦後の1956年に刊行された、岩手県一戸町出身の神学博士である川守田英二氏の著書『日本へブル詩歌の研究』上巻では、「ナギアトヤーラーヨー ナギアドナサレダーデ サーデ サーイエ ナガアッイウドヤーラヨー」というのは「エホバ進み給え 前方にダビデ 仇を払わんとすイダ族の先頭にエホバ進み給え」という意味のヘブライ語で、この民謡は聖典歴史が日本歴史に移行している事実を物語る重要な証拠であると解釈されている。

  また、これとは別に、言語学者の金田一京助氏は、「ニヤニヤトヤラー」は方言のくずれたもので、その意味は「なんでもやりましょう。そうすれば、なんでもできるものだ。わかりました。なんでも大いにやろう。」とする中里義美氏の説を支持されている。(『二戸郡史』より)

  この他にも古代の軍歌説、唄の始まりの試声とするもの、あるいは女子が「どうなりとなされかし」と男を誘っているとする説まであって、それぞれに意味深長な解釈がなされている。

 さらに、民俗学者の柳田国男氏の「農民の哀歌」だとする説があって、傾聴すべき点が多いように思われる。余談であるが、土地に残る歌詞の中に「ナニガナサレテ ナニヤラドヤラ ナニヤドナサレデ ナニャドヤラ」というのがある。この歌詞からみると「何がなされているのか、何やらどうなっているのかさっぱり分からない。何がどうなされたか、何が何やら分からない世の中だ」とも受け取られる。地方には、やませに由来する凶令、旧南部藩の圧政による百姓一揆が多く、時の権力者の政治に対するやり場のない百姓の不満と諦観が秘められていることになる。

 

歌詞の種類

 この唄の歌詞は地域によって「ニャニャトヤラ」あるいは「ナギャトヤラ」とも発音されるらしい。旧大野村では「ナニャドヤラ」または「ナニャトヤラ」と発音されることが多い。

 二つの踊り方があり、一つは「ナニャドナサレノナニャドヤラ」と伸ばさず淡々と唄い続けるもの。もう一つは、上の句ともいうべき歌詞を頭につけて唄い出す。たとえば、音頭取りが「盆の十六日、正月から待った 待った十六日今夜ばかり」と唄い出すと、踊り手たちは後の言葉を受けて「今夜ばかり待った十六日、今夜ばかり」と唄う。そして唄の文句が変わるまでこれを繰り返すのである。

 

曲の種類
 旧大野村に伝承されている盆踊り唄「ナニャドヤラ」には、 一つ甚句、二つ甚句、 三つ甚句、四つ甚句の四種がある。特に二つ甚句は、盆踊りの中心的役割を果たしている。

 

 かけ声は「いやさかさっさと」、「ちょいさっさ、こらさ」、また、踊りの最中に嬌声に似た声をはりあげ踊っているところもある。

 

使われる太鼓とばち
 男の太鼓打ちが胸に締め太鼓をつけ、先頭で踊りながらたたく。輪が大きくなると太鼓たたきが二人三人と増え、二重、三重の輪となって盛り上がっていく。最近では踊りの輪が大きくなることから輪の中心にやぐらを組み、景気よく祭り太鼓をたたき、リズムをとっているところもある。地域によって太鼓の打ち方や踊り方にも若干の違いがある。現在は昔のような悠長さが失われているという。音頭取りが踊りながら唄い出すと他の者も踊りながら合いの手を入れる。             
 太鼓の胴は竹、杉や桐の板を樽状に組み合わせ、針金や竹でしばって作られている。皮は三才牛が一番良いと言われているが、馬の皮を使っているものもみられる。
 ばちは太鼓の皮を傷つけるため、柳、萩など、やわらかい木を使っている。そのために折れやすく、一晩に2本~3本用意する人が多い。ばちの太さは直径2cm~2.5cmぐらいが良いといわれている。長さは1尺5寸(約45cm)が普通である。

 

期日・場所・服装などの今昔
 昔は、旧七日盆から二十日盆まで夕食を済ませた午後九時ごろから夜明けの四時ごろまで、寺や神社の境内、大家の庭、本家の家の前、辻、路上などで踊られたという。

 現在は治安の関係などで1日だけ、踊る時間も午前0時ぐらいまでになった。盆以外では、神社の祭典、学校や町民の運動会、祝辞のフィナーレで踊られている。
 服装は以前から現在まで男は半纏(はんてん)に頬かむり、女は浴衣で男女とも下駄履きか草履とするのが主流であるが、近年では洋服や懸賞踊りに合わせた仮装による参加もみられる。 

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